第一章 日本のアイドルとは②
はいはーい、こんにちは。こんばんは、かな?
安定で気まぐれ更新ですが、引き続きまとめたものを載せていこうかと思います(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
今回は第二節に突入しますが、またまた長いです。
お暇な方はどうぞゆるりとお付き合いくださいませ。
第2節日本と海外の文化や趣向の比較を通してみる日本の「アイドル」像
日本の文化における「アイドル」の語源となったのは、英語の「Idol」という単語であります。
「Idol」の本来の意味は、英和辞書によると「1.偶像。2.偶像《神以外の神像》。3.偶像神。」とされていて、すなわち、不可視な信仰・信心の対象を可視化した絵画や彫刻などの偶像のことを指します。
その言葉の転用・発展の結果、アメリカでは「若い人気者」としての意味で、「アイドル」という呼称が誕生しました。
しかし、海外、主に欧米における「アイドル」は、日本におけるそれとは全く異なる性質を持っているように思います。
日本で「アイドル」といえば、AKB48や嵐ですよね。しかし、海外で「アイドル」といえば、バックストリート・ボーイズやディスティニーチャイルド、最近ではジャスティン・ビーバーやマイリー・サイラスなどがそれにあたります。
『アメリカン・アイドル』というオーディション番組が人気を博し、そこから新たなアイドルが誕生しているのも周知の事実ですが、彼ら彼女らを日本の「アイドル」という枠組みで語るのには少し違和感があります。
なぜなら、彼らというのは、日本における「アイドル」という存在ではなく、「ミュージシャン」や「アーティスト」といった存在に限りなく近いのです。
海外における「アイドル」は、音楽における実力・スキルがなければ絶対に成功しません。それに対して、日本の「アイドル」は、マルチに活躍はしているが、音楽における実力やスキルが他の人と比べて突出して秀でているわけではないことがほとんどです。
では、なぜ海外では音楽におけるスキルがここまで重視され、日本では音楽におけるスキルがなくとも「アイドル」として成功できるのでしょうか?
この鍵は、「アイドル」にとって最も重要な「熱狂的なファン」達が、「アイドル」という存在に求めるものの違いにあるのだと思います。
海外の「アイドル」のファンたちは、「アイドル」にCDやコンサート、写真集などで目に見えるアイドル自身の容姿やスタイル、歌唱力などのアーティスト性を求め、そこに惹かれてCDやコンサートなどを、「アイドルの提供している一商品」として消費しています。
それに対して、日本の「アイドル」のファンたちは、ただ単に容姿やスタイル、歌唱力を評価して応援しているわけではないのです。
日本の場合、アイドル自身の人生、例えば「AKB48の総選挙で見事選抜に選ばれ、初めてマイクを握らせてもらえた」などといった、その物語性に惹かれ、「アイドル」を応援し、CDやコンサートなどを「物語の一部としての商品」を消費しています。
海外の「アイドル」ファンたちは、「アイドル」を「パッケージ(一商品)」として楽しんでいるのに対し、日本の「アイドル」ファンたちは、「アイドル」を「物語」として楽しんでいるという点が、海外と日本の「アイドル」の有り方に大きな違いをもたらす要因となっているのです。
また、欧米においてはキリスト教的価値観により未成年者への恋愛感情が禁忌とされているため、「アイドル」という存在を、大人が楽しむという土壌が成熟していないようです。
AKB48 や、ももいろクローバーZのような(これ書いた時は未成年だったけどもう成人してるね)、未成年であり年齢的にもスキル的にも未熟な成長段階にある「アイドル」が誕生しにくいことも、このような社会的背景が影響しているのかもしれませんね。
③に続く......✩.*˚