最終章 何故人々はアイドルに惹かれるのか?
はいよ。こんばんは〜。
長い間、少しずつ記事にしてきましたがいよいよ最終章、すなわちまとめでございます。
今読んでみると、まだまだ深く突き詰められる部分があるなぁと思ったり。
少し手を加えて書き直したりするのもありかな?と思って色々考えたのですが、とりあえずは原形をそのまま記事にしたいと思います。
元々4年ほど前に書いていた卒業論文なので、自分自身の物の見方も変わっていたりするんだろう。
また、追加で書いてみたいことは番外編として記事にしていこうと思います。やる気になれば。
完成した文章ですら、割と編集に時間がかかるので、また新たに浮かんだ思考をまとめるのは何ヶ月もかかりそう。。。
まぁもし記事にする機会があれば呼んでくださいな(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
というわけで、最終章!総括として、まとめちゃいます!
現代の日本では、「アイドル」が毎日のようにテレビのバラエティーやドラマ、歌番組など、様々なところで活躍し、芸能界の大きな一角を担っています。
また、コンサートや握手会が定期的に開かれ、「アイドル」は私たちにとって身近な存在になっているのも特徴的です。
しかし、バラエティーであれば芸人、舞台やドラマ、映画であれば俳優・女優、歌であれば歌手、というように各部門におけるプロフェッショナルともいえる存在がいますよね。
その中で、「アイドル」がプロの実力に及ぶことは難しいにも関わらず、何故「アイドル」という存在がここまで日本文化に浸透し、ビジネスとして成立し、人々に愛されているのでしょうか?
そこでこの論文(何回にも渡って載せた記事)では、序論で提起した「なぜ「アイドル」が人々の心を掴むのか」という問いの答えを導き出すために、様々な角度から見てきました。
というわけで、ここでまず今回記事にしてきた議題をおさらいしていきまっしょい!
第一章では、日本の「アイドル」とは一体何かを追求し、「アイドル」という言葉の誕生とその言葉の意味について調べていきました。
また、日本と海外の文化や趣向の比較を通して、日本の「アイドル」像について迫っていきました。
海外のアイドルファンたちが、「アイドル」に対して、容姿やスタイル、歌唱力などの音楽におけるスキルを求め、完成された「パッケージ(一商品)」として消費しているのに対し、日本のアイドルファンたちたちは、その「アイドル」が苦悩し努力し、マイクを握らせてもらえるようになったなどという物語性に惹かれ、〈物語〉の一部として商品を消費していることが大きな違いとしてありました。
第二章では、「アイドル」の営業戦略について物語消費の説明とともに追求していきました。
「物語消費」とは、実際に〈モノ〉として手に取れる、チョコレートやシールなどのツールを通して、可視化されないその裏に隠された〈物語〉を消費してもらうということを指します。
〈モノ〉を通してでしか消費しえない〈物語〉を消費者に提供しているのです。
また、「日本人はこうあるべきだ」という模範の姿が見えづらくなり、日本経済が発展して「豊かさ」が当たり前の時代になっていくごとに、人々が商品を性能差で選ぶことが難しくなってしまいました。
そこで人々は、商品をイメージ、その背景にある〈物語〉によって選択し消費をするようになったのです。
特に、消費者が「アイドル」を性能差で選ぶことはきわめて少なく、「アイドル」自身の人生、成功までの道のりの背景が描かれている〈物語〉の要素が商品の選択において非常に重要視されることが多いです。
そして、「アイドル」という商品が描く〈物語〉は、彼女ら自身の人生ではなく「アイドル」を売り出すプロデューサーによって意図的に作り出された、彼女らが演じている「アイドル」というもう一人の少女の〈物語〉であることをお伝えしました。
第三章では、「アイドル」の心理的戦略について焦点をあててお話をしました。
日本の「アイドル」を身近な存在である他己と捉え、その他己を承認することにより自己承認の願望を達成したかのように感じる心理的作用について追求していきました。
「アイドル」と私たち「ファン」との間で起きる心理作用は、「ファン」にとっての「アイドル」という理想化自己対象と、「アイドル」にとっての「ファン」という鏡映自己対象の双方で起こっていることを説明していきましたね。
「アイドル」と「ファン」は、お互いの自己愛を充たしてくれる対象として存在し、相互の心理的作用によって「アイドル」ビジネスは成り立っているのです。
また、なぜ「アイドル」の「ファン」同士のコミュニティーが生まれるのか双子自己対象という心理的作用を例に挙げました。
私たち「ファン」はなんらかの共同体に所属し、自らのアイデンティティを確立することを求め、そのためのツールとして「アイドル」を消費している面があるのです。
このように私たち消費者は、日本の経済成長とともに「日本人はこうあるべきだ」という模範の姿を提供してくれる媒体を失い、日本人としての共同体に所属し、〈物語〉すなわち生きる〈世界〉を縛られるということが少なくなりました。
しかし、人にはなんらかの共同体に所属し、自らのアイデンティティを確立したいという欲求があり、私たちは消費にあたって〈物語〉性を求め、自らの理想を引き受けてくれる対象を応援することで自己愛を充たすことがわかりました。
「アイドル」とは、このような私たち消費者の共同体に所属したいという欲求や、自己承認への欲求を上手く利用した「商品」であり、「ビジネス」なのです。
私たちは、自らの自己愛の充足やアイデンティティの確立を求めて、「アイドル」を「ファン」として消費し続けるのです。
終わり!
参考文献
大塚英志『システムと儀式』、筑摩書房(ちくま文庫)、1992
大塚英志『定本物語消費論』、角川文庫、2001
岡島紳士・岡田康宏『グループアイドル進化論』、マイコミ新書、2011
香月孝史『「アイドル」の読み方』、青弓社、2014
鈴木謙介・電通消費者研究センター『わたしたち消費』、幻冬舎(幻冬舎新書)、2007
山川悟『事例でわかる物語マーケティング』、日本能率協会マネジメントセンター、2007