第一章 日本のアイドルとは③
こんばんは~みなさまお元気ですか?(誰に向かって?)
完全に自己満足で載せてる記事なので誰も待っとらんだろう。って感じですが、一応ご挨拶します。
GW真っ只中ですね。9連休となるとゴロゴロして何もしない1日が発生します。
そうすると、たまらなく無駄な1日を過ごしてしまったという後悔と、滅多にない贅沢な1日だから良いんだという言い聞かせの狭間で、頭がグルグルしながら、結局何もしない1日があります。
たまには、そんな日もあって、いいよね。
そして、またまた日があいてしまいましたが、続きを載せて行こうと思います(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
ではでは、レッツラゴー☆
第三節 日本の「アイドル」とは
この節では、第一節、第二節で語ってきたことをまとめて、日本における「アイドル」は一体どういったものを指すのかその定義と特徴にせまっていこう!って感じです。
第二節で述べたように、日本の「アイドル」は、物語性を持っていて、その物語の一部として「アイドル」はCDやコンサートなどの消費できる「モノ」を提供しています。
「モノ」を物語性によって消費することについて、大塚英志は書著である『定本物語消費論』の中でこのように述べています。
"消費されているのは、一つ一つの〈ドラマ〉や〈モノ〉ではなく、その背後に隠されていたはずのシステムそのものなのである。しかしシステム(=大きな物語)そのものを売るわけにはいかないので、その一つの断片である一話分のドラマや一つの断片である〈モノ〉を見せかけに消費してもらう。このような事態をぼくは「物語消費」と名付けたい。"
つまり日本の「アイドル」は、「アイドル」自身の人生や生き様を〈大きな物語〉としておき、その〈大きな物語〉を微分化して、様々なツールを通して〈物語〉の一部分を切り抜いて売り出しているのです。
そのため、日本の「アイドル」は消費者に近い立場に存在しなければならないため、際立って歌唱力や容姿などスキルやスペックが高いことよりも、いかに消費者に近い存在であり、人間味があり、どれだけ「アイドル」という姿のその裏で努力をしているか、という部分が重視されがちなのですね。
第二章に続く......✩.*˚