「ヲタク」をやっててよかったこと
こんにちは~ご無沙汰しております。
しばらくバタバタしすぎて、全然文章を書く時間がありませんでした。
また、これからぼちぼち更新していこうと思うので、お暇な時に読んで行ってもらえると嬉しいです。
この記事では、「ヲタク」をやってて良かったことを書こうと思います。
前回の記事では、長年「ヲタク」をやっててずっとどこか虚しかったということを書きましたが、もちろん「ヲタク」をやっていたことで得たものもたくさんありました。
「ヲタク」をやっていて得た能力(?)もせっかくなので書いておこうかなと。
というわけで、レッツゴー!
「ヲタク」をやってて得た強み
・瞬発力、行動力
これは多分現場系のヲタクにはみんな備わっている能力だと思ってます。笑
いつ役立ったかというと、就活や転職活動の時に本当に強かった気がします。
気になる企業の企業説明会があれば、とにかくすぐ出向いてみる。
行くと決まれば、ソッコー交通手段と宿泊ホテルを探します。
ギリギリでも安くで交通手段とホテルを探す能力が無駄に長けていましたw
大学で周りの子が一人で、大阪、東京、どうしよう、誰か一緒に行かない?って話してる時に、私は自分が行きたい説明会を探して行くことを即決してました。
私のヲタク生活というと、来週の現場行きたいな、チケット持ってないな、、、
まずバイト休みかな、休みだった!チケット見つかるかな?見つかった!
じゃあ行こう!みたいなことが日常茶飯事だったからです。
あとは転職の時も、思い立ったら即行動。
ここじゃない、と感じた瞬間に、すぐに退職願を出して有給消化に入り、2度目の就活を始めました。その時は会社の寮に住んでいたので、就活と新しい新居探しと引っ越しを全て同時にしましたが、忙しいことにも予定を詰めまくることにも慣れてたのでなんとかなりました。
苦しいのにダラダラと働き続けて心病んだりする前に、パパッと次に移る瞬発力と行動力はあったと思います。
(ただ単にヲタクすぎて仕事が生活の中心じゃないから、苦しい現状に意味を見いだせないと頑張れないだけかもしれんw)
・文章能力
これは自覚はなかったのですが、最近よく会社などで言われてふと気付いたスキルです。
ありがたいことに、物事を分かりやすく伝える能力あるよね、文才あるね、と言われることが多かったのです。
元々本を読んだりするのも好きなので、そういう部分もあるかもしれませんが、ヲタク時代はコンサートに行けば必ず自分の備忘録のために一公演一公演ごとにレポを取って、その時の感想を担当や推しに毎公演お手紙を書いていました。
このご時世にヲタクじゃなかったら自分の手で手紙を書くなんて滅多に無いと思いますが、現場期間になると私は毎週(どころか毎日に近い)のように手紙を書く生活をおよそ7年間していたわけですね。
この7年間できっと300通以上のファンレターを書きました。(笑)よく考えると怖いわ、その熱意。私が好きになる推しの年齢が低かったこともあり、私はいつも読みやすさ、伝わりやすさ、簡潔さ、を意識して手紙を書いてました。それでも好きが溢れていつも便箋2枚は書いてたなぁ(遠い目)
それもあってか、事務職に転職したときには、ビジネス文書などほぼ習ったことはありませんでしたが、実務のメールや文書を書く時にあまり困ったことはなかったです。ずっと事務職やってる先輩でも、たまに本当に何言いたいのか分からん伝わりにくい文章を書く人っているのでそういう意味では役に立ったとスキルだと思います。
・洞察力
とにかく人間観察が好きになります。逆を言えば、人間観察が好きすぎるからヲタクを極めたのかもしれない。同じ動画何回も観て、普通こんなとこ観る?っていう細かいポイントを発見して可愛いって盛り上がるのがヲタクなのよ。そうなのよ。
動画だけでなくインタビューの言葉とかも、その人の価値観を覗き見れるような気がして本当に知るのが楽しい。接触がある現場の時は、その時の一つ一つの応答すらも研究しちゃうのね。
その洞察力は、接客業の時はダイレクトに役立つことが多い気がしました。
お客様の表情がどのような感情に基いてるのか察知するのに割と長けているので、「あ、これはヤバイな」と思ったら先回りして、クレームの事前回避ができたり、クレームになってもその時の対応が悪くてさらに二次クレームに発展することはほとんどなかったです。
あとは、人を動かす仕事に立つ時にも役立つと思います。人に関心があって観察することが好きであれば、その人の長所や短所も見つけやすいです。なので、それぞれに合った仕事を振ることが出来たり、それぞれに合わせた説明をすることが出来ます。
そして、私はその人がどんな考えの持ち主かまで観察しちゃうので、こういう頼み方をすればお互い良い気持ちで仕事できるな、というのもなんとなく分かります。
そのため、職場で人間関係が上手くいかなすぎてシンドイ、、、みたいな状況はあまり経験したことはなかったです。(楽しいとかやりがいがあるとかとは全く別だけど)
洞察力は良い方向に使えれば、本当に良い武器になると思います。逆に上手く使えない時は、人のことを観察していろいろ考えすぎて、全ての感情に敏感になりすぎて疲れちゃうこともあります。(私はよくその症状にも陥ってたw)
・細かい作業
はい!みなさん!ジャニヲタといえば、「団扇」ですよね!そう!私も一時期は立派なジャニヲタだったので、担当の名前の団扇を作っていました。
私にはこだわりがあって、自分が持つ団扇は絶対自分の手作りじゃないと嫌!という謎理論がありまして。絶対に自分で一から作っていました(笑)みんなと被らないようにデザインを考えたり、見やすい配色を考えるのも楽しいし、これが担当に見てもらえる時が来るのがもう楽しすぎてw
覚えてもらうためにずっと同じ団扇を使う、みたいなことも一時期してましたが、私は結構新しい団扇を作るのが好きでいろんな種類を作ってました。
↑こんな感じ(今見ると、規定外すぎてびっくりしてる)
もう今は「ジャニヲタ」やってないし、過去の黒歴史として公開しておきます。
いないと思いますが、オイオイオイ!この団扇持ってる奴覚えてんぞ!?っていう人がもし万が一にもいたら、その時はそっと静かにこのページを閉じて見なかったことにしてください。普通に恥ずかしいので(笑)
あとは、こんなカードを作ったりもしてましたね(推しへの想いが重いすぎる)
これはCDのリリースイベントの時に、毎会場ごとにこのカードの裏に感想を書いて1枚ずつお手紙として渡してました。
確かこの時のリリイベ、多分私全会場行ってた、、、?この頃は本当に絶賛ヲタクしてたのでメッセージカード作るのも本当に毎回楽しくてめっちゃ気合い入れてデザインとか文字とか配置とか考えて作ってたのを覚えてます(笑)
そして、こんなに気合い入れて作って渡していたメッセージカードですが、次のリリイベで推しに聞いたら、全然覚えてなかったのが1番のネタですね。それでも、私の中でこのメッセージカードは結構気に入ってます。所詮最初から自己満でやっているのである。
これは役に立つ能力かと言えば、役に立つこともあるかも?という程度でしょうかね。
別に細かい作業ができるって言っても、好きでもない細かい作業ができるわけではないので。
好きなものに対する熱意が尋常じゃなくて、細かい作業もできるようになっちゃったのよね!みたいな、これはちょっと重い想いを語りたかっただけです。特に役には立ちません(笑)
今でもたまにこういう細かいもの作りたいなーと思うことある。何かに生かせないかしら。
・企画力
これは、オフ会大好きタイプの「ヲタク」は持ってそうなスキルですね。
社会人になってからは、ヲタク界隈でもあまり友達の数を増やさなかったのでオフ会を企画しなくなっていったのですが、学生時代には、よく地元が近いヲタクを募ってオフ会を開いたりしてました。日程決めて、場所決めて、やる事決めて、参加してくれた人にミニプレゼント用意したり、みんなで楽しめるゲーム考えたり(笑)
よく考えたら、好きなものしか共通点のない人たちが集まって仲良くできるって「ヲタク」のコミュニケーション能力意外と高いんじゃないのかって話。
あとは、本人不在の誕生日パーティーとか定番ですよね!これぞ、ザ・ヲタクって感じ(笑)最近はプリントケーキとか流行ってますね。デザインとか写真とかを考えて、ケーキを注文するところからもう楽しい。 担当の誕生日だけでなく、友達の誕生日もサプライズするのが大好きなので、すぐ企画しちゃう。
こういうオフ会とかサプライズ好きなヲタクは、飲み会の幹事とかイベントの企画できそう。
このスキルも、私的にはこれといって仕事で役立ったことはないかもです(笑)
こんな感じでしょうかね。こうやって書き出してみると、意外とヲタクっていろんな強みを手に入れられるもんですよね。それがたまには仕事に役立ったり。
私はもう「ヲタク」を卒業して「ファン」になりましたが、「ヲタク」をしていた期間が決して無駄ではなかったと思っています。本当に「ヲタク」って言えるほど、何かに夢中になって必死になって極めたからこそ、得られたものもきっとあると思うからです。
これだけ「好き」を極めてきたからこそ、自分のことをもっと知りたいと思ったし、自分にも何かできたら良いのにとも思ったし、自分には何ができるんだろう?ということも考えるようになったのかな、としみじみ感じます。
こんなに「ヲタク」に人生捧げてたからこそ、自分の中に何があるのか気になったのかも。
そう思うと、人生本当に面白いものです。全部に意味があるじゃないか。
またまたびっくりするほど長い文を書いてしまった、、、ここまで読んで下さった方はどうもありがとうございます。
そのうち、また更新していきます〜
つづく
我が「ヲタク」人生の遷移
こんばんは。お元気でござんすか?
前回は「ヲタク」になった経緯を長々と書いたので、今回の記事は私の長年連れ添ってきた「ヲタク」人生の遷移について書いてみようと思います。
我が「ヲタク」人生の遷移
今回は「ヲタク」進度(深度?)で段階も付けてみました(笑)
ここでは一つ一つの「ヲタク」時代にどんな気持ちでどんな応援の仕方をしていたのか等は、最大限簡略的に書いています。(なかなかに重症患者なので、おそらく細かく書き始めたらまじで卒論並みに10000字は書けてしまう)
そのうち、それぞれの「ヲタク」人生も文章にしてひっそりと残しておきたいとは思っています。そのうちね。
高校1~2年生:「ファン」から「ヲタク」へ
第零段階:まだまだ可愛いひよっこ「ポタク」期。「アイドル」ってすげー。私の人生を楽しくしてくれるもんなんだなって気づく。
高校3年生:「ヲタク」の沼へ
第一段階:静かに大きな挫折を味わって「道標」失った時に、初めてコンサート(現場)に行く。現場の楽しさを知る。「ヲタク友達」が初めてできる。「アイドル」の夢、一緒に応援できるのって最高では。(現実逃避の始まり)
大学1~2年生:「ヲタク」の沼へ
第二段階:「ヲタク」のコミュニティーの楽しさを知る。なんせ、まず最大の趣味が一緒の時点で話が合う。一生趣味の話してられる。気が合う人とだけ仲良くしていけばいい。「ヲタク友達」が友人関係の中心になる。(大学でも「ヲタク友達」以外まともな人間関係を築かないまま終わった)
大学3年生:新たな「ヲタク」の沼を発見
第三段階:特別仲の良かった「ヲタク友達」と一緒に新しい沼を見つける。(その「アイドル」を応援することより、その「ヲタク友達」と一緒にいることが楽しい感じ)
「アイドル」から「ファンサ」をもらう衝撃的な体験をする。(その時の私には未知の領域すぎて本当にやばかった。思わず腰抜けたの、今でも忘れられない)
「アイドル」がコンサートで「自分」を見つけてくれることの嬉しさを知る。
大学4年生~社会人1年目:絶賛「ヲタク」期間(関西ジャニーズJr. 平野紫耀くん)
第四段階:いつも現場にいる人であることに優越感を持つようになる。常に全ステに近い数の現場に行きたい気持ちが出てくる。(周りの「ヲタク」から一目置かれる感じ?「有名」扱いとまでは行かないけど、そんな感じのアレね)
「ヲタク友達」と一緒に遊んでいる時間が最高に楽しくて、それのために何でも犠牲にするようになる。(他にやりたいことがあってもバイトと「ヲタク」が忙しすぎて他のこと何もできない。完全に生活の中心が「ヲタク」w)
社会人1~2年目:絶賛「ヲタク」期間(関西ジャニーズJr. 高橋恭平くん)
第五段階:ファンが少ない入所したばかりの子の「ヲタク」の美味しさを知る。未熟なところさえ、可愛い、私がこれから育てたい。(完全に危ない人)
まるで保護者のような気持ちでその子を応援するようになる。(ファンレターにいつも改善点も書いちゃうような「厄介ヲタク」だったの)
いつもコンサートに行くと団扇を見つけてくれたり、ファンサをしてくれたり、手紙を読んでくれたり、それに対して返信をくれることが嬉しいし楽しい。(入所したての子はまじで純粋だから楽しい)
社会人2~3年目:またもや新たな沼へ(SUPER★DRAGON 松村和哉くん)
第六段階:「アイドル」と至近距離で話せる文化を知る。(それまでずっとジャニーズの「ヲタク」しか経験したことがなかったので)
一方的な手紙とかではなく「会話」によってコミュニケーションが取れる面白さを知る。
プレゼントを渡すことができるナニソレ楽しいやばい。(←そんな思考が一番ヤバイ)
「アイドル」から確信を持って覚えてもらえるようになる。(名前を呼んでくれる、好きな曲やモノを覚えていてくれる)
社会人3~4年目:絶賛「ヲタク」期間
第七段階:あげたプレゼントをよく身に着けてくれる。(これは本当に沼。別に使ってくれなくてもあげてたけど、自分からのプレゼントって知ってる上で気に入って身に着けてくれているのは本当にヤバイ事象)
いつでもどこでもどんな現場でも行きたい、いや行かなければ、というもはや謎の使命感により、ほとんどの現場にいる「ヲタク」になる。
「アイドル」との距離感完全にバグる、もはや「友達」と錯覚する。(まじで行き過ぎると、ノリが友達になる)
その「アイドル」にとって、忘れられない大切にされる「ヲタク」でいたいという気持ちが生まれる。(この承認欲求によって、現場に行く数もコンサートに入るときの席も手紙やプレゼントの量もヤバかった)
はーーーーーーい、こんな感じですw
自分で書きながら、いや、ヤバイな、、、って改めて思う「ヲタク」人生。
でも、これ私だけじゃないと思うんですよね。(じゃないよね?違うかな?)
結構な数の「ヲタク」が気づけば、こういう状態になっていると思うんです。
ここまで来ると、もう完全に生活の中心は当たり前に「アイドル」だし、そうやってどんどんと深い沼に浸かりながら生きてきた期間が長すぎて「ヲタク」じゃない自分が想像つかなくなります。
自分の人生のほとんどの時間が、仕事をしてるか、「ヲタク」をやってるか。(笑)
だって、「ヲタク」ってタダではできないものですから。
「ヲタク」の段階が重症化するほど、それに比例してもちろんお金は莫大にいくらでもかかります。その分働かなければならなくなるし、最終段階の「ヲタク」期間は、日中は事務職で働いて夜は飲食店でアルバイトをしていました。現場がない日はとにかく働く!!!1日大体12~14時間は働いてましたね。
「ヲタク」やってる時間は現実を忘れるほど楽しいし、頭が狂ったほど「ヲタク」やってる自分がなんだかんだ好きだった(盲信していた)から、辞められませんでした。
でも、ふと考えるとめっちゃ虚しくなるんですよね。
自分の人生なのに、自分のために遣う時間もお金もない。
もちろん、自分が楽しむために、その楽しい時間を得るために。
一生懸命働いて、お金を稼いで、現場に行くんだけど。
自分自身に何か残るものが手に入るわけではないものに消費していく。
そんな感覚?(伝わりますかね?)
例えば、仕事終わりに自由な時間とお金があって、ピアノを習うとします。
そうすれば、ピアノを弾けるようになったそのスキルは自分自身のものですよね。
そのスキルを手に入れたことで、もしピアノ演奏を披露する機会があったとしたら「わぁ、すごい!」ってなります。
それは、本人にとって「有益なもの」「財産となるもの」なんじゃないかなって思います。自分自身の価値になるもの。
でも、「ヲタク」をやってて遣うお金ってほとんど自分には還元されないもの。
「アイドル」の夢を応援するため、自分が「ヲタク」というコミュニティーに所属し続けるためにだけ消費されていくものだから。
自分が「ヲタク」じゃなくなったら、「何者」でもなくなるような気がして。
だから、ずっと「ヲタク」でいたくて。
それも、「アイドル」にとって特別な何か価値のある「ヲタク」でいたくて。
完全に自己満足の世界ですよね。分かっていても、辞められなかった。
だって、自分自身に本当に何もないから。自分自身のために何もしてこなかったから。
「ヲタク」まで辞めたら、本当に「空っぽ」の人間だって。
それに、自分にある人間関係はほとんどが「アイドル」を介してできて「ヲタク」のコミュニティーの中にしかなかったので、もし「ヲタク」を辞めてしまったら本当に孤独だなーとも思っていました。
だから、なんとなく私は一生「ヲタク」するんだろうな、辞められないんだろうな、という半分諦めにも似た感情を抱きながら、それすらも見ないふりをして「ヲタク」を続けていたんです。
こんな感じで、私はアラサー片足を突っ込みかけるまで「ヲタク」をしていました。
つづく
私が「ヲタク」になるまで。
まずは、私が「ヲタク」になるまで。
一番最初の記事に書いたとおり、私は長年「ヲタク」をやってきたわけなんですが、いきなり今日から私は「ヲタク」になる!!!となったわけではなく。
(きっと誰しもが一番最初に「ヲタク」になるまではそうだと思う)
最初はテレビで観てただけの「アイドル」にハマりはじめて、CD買って、雑誌集めて、コンサートに行って、、、と沼に身を沈めていくという過程があるわけです。
私が「アイドル」というものに初めて興味を持って惹かれたのは、小学6年生の頃だったかと思います。
その頃の私はというと早くも「人生の闇時代」(何だそれw)を歩んで、4年目になる絶賛いじめられっ子でした。
小学校に入学した当時から、元々大人数の輪も好きではないし、外で遊ぶのも好きではない私は休憩は教室で自由ノートに絵を描いて過ごすような人間でした。それでもまぁ、別に友達には困っちゃいないし、平々凡々に過ごしていたんですが。
今となっては何が原因だったかもう忘れましたが、小学3年生のクラス替えの時にクラスのボス的な女の子に目つけられたんですよね。それが運の尽きで、そこからは完全にターゲットになってしまい、2クラスしかないような田舎の小学校に通っていた私は小学6年生までクラスどころか学年でほぼ孤立した状態を過ごしていました。
その頃の私は、完全に心に頑丈なセコムが施錠されてしまって外界との関わりを一切シャットアウト。唯一の趣味は、本でした。
(ハリー・ポッターが大好きで、いつも本を持ち歩いて勉強の虫で、本気でハーマイオニーになりたかった)
そんな時に、やっていたのが「花より男子」ですね~。わ~世代~。
「嵐」が大ブームになっていたあの頃です。そう。
きっかけは、井上真央ちゃん。
「キッズ・ウォー」の茜ちゃんが大好きだったので「花より男子」も観ていたのですが、ここで「嵐」に出会いました。
それが「アイドル」という存在との初めての出会いですね。(笑)
そこからしばらくは、まだまだ興味を持った程度の「ひよっこファン」です。
中学時代になっても田舎すぎて、残念ながら学校のメンバーは一切変わらなかったので私は心にセコムがかかったまま、静かに誰にも打ち明けることなく「アイドル」の沼へハマっていきました。(その頃はお年玉やお小遣いで、嵐のCDを買い漁っていた)
その時の私にとって「アイドル」は、本当にキラキラしていて、たくさんの人を幸せにする「スーパーマン」のような存在であり、圧倒的「憧れ」の存在だったんです。私もそんな人生歩めてたらなーみたいな、自分にはないものをたくさん持ってるキラキラした宝物みたいな。
高校になって心機一転、新しい学生生活!と言っても、7年間ほとんど外界との関わりなしで生きてきた私には上手く行かず。ここで少し自由も増えたことで、私の「アイドル」沼は加速。お次は平行して「関ジャニ∞」にハマりました(笑)
当時はコンサートに行きたいという気持ちより、「まず彼ら自身を知りたい」が強く、歴代のCDを集めたり、過去の雑誌や番組を全部観たり、そういうことに時間を費やしてましたね。
高校になってからは、特段いじめられているわけでもなかったですが、人を信じることがどうしてもできなかった私はいつもどこか孤独で、寂しかったり、苦しい気持ちになることがよくありました。
今でも覚えてるのが、すばるBANDの「ONE」がめちゃくちゃ心に刺さったこと。
その当時の自分が、「救われたな」と本当に心から思った曲です。何度も聴いて、何度も泣いて、でももう少し頑張れば、花が咲くのかなって。
その時に、「アイドル」って、心が折れて、苦しんでる、そんな人に向けて、「歌う」ことでその闇から救い出すことができる本当にすごい存在だなって感じた瞬間でした。
それがきっかけで、私の中で「アイドル」が自分にとっては「必要不可欠」な存在になって、「心の中心」に居座る存在になったような気がします。
これが、きっと私が「ヲタク」になった瞬間ですね。
ここからはちょっとした余談。私の「ヲタク」人生が気になるかただけ読んで、、、
その後、どんな気持ちで「アイドル」沼にズブズブしていったのかも当時を思い出しながら書いてみます。
初めて行ったコンサートは関ジャニ∞の「8UPPERS」TOURの広島でした。
高校3年生。進学校に通っていたので、受験を控えた時期でしたね。
「人生の闇時代」(だから何それw)を早くも経験していた私は、運動が苦手で勉強することしか能がなかったので、勉強頑張って頭の良い高校に進学して、絶対大学進学で東京に出るんだ!という目標がありました。
東京に出て「何をする」っていう具体的な目標があったわけではないんですが。ただ、「アイドル」や「女優」みたいな光の世界、人に何か影響を与えたり、救いになるような存在に強い憧れがあったので、そういう何かに携われるきっかけを掴みたくて、まずは東京へ出たいという思いは、小学生の頃から人一倍強かったと思います。
小中学生の時は勉強すればそれなりに良い成績を取ることができたんですが、いざ自分が目指していた高校(普通科の進学校)に入ってみると、あれれ?私ってそんなに勉強できないのでは?と。
受験で基礎の学力が揃った子たちが集まっているから当たり前なんですけど、クラスの中でも成績はいつも中の下くらいでした。「なんだ、私って勉強もそんなにできるわけじゃないんだな」って気付いてしまった高校1年生。
でもまぁ、大学に行けないほど頭が悪いわけでもないし東京の大学へ行きたいという目標は持ったまま、それなりに勉強を頑張って過ごしていたんですが、進路相談の時期になって私は静かに大きな挫折を味わいます。
たまたま、いろんなタイミングが良くなかったんですけどね。
進路を決める時期に母親が「癌」になって入院生活が続いていて、「どうしても実家から離れてほしくない」とお願いされたんです。どんな勉強をしても良いし、どんな大学に行っても良いから、とにかく実家から離れないで通えるとことにして欲しいと。
そうなってくると私には、そのお願いを押し切ってまで「確実な夢」があるわけでもないのに「東京の大学へ行く」という漠然とした目標を遂行する勇気と元気がなかったんです。
そうやって誰にも打ち明けることなく、小学生の頃からずっと目標にしていた「東京に出る」ことをあっけなく挫折することになったわけです。
なので、高校3年生だけど何を目的にどう頑張れば良いのか全く「道標」を失ってしまって、どこの大学に行きたいかすら決められなくなっていて。今まで頑張ってきた勉強も、何のためにするんだ?これからどうするんだ?と完全に立ち止まってしまっていた時期でした。
こんなタイミングで、たまたま関ジャニ∞がツアーで広島に来ると知り。
その当時コンサートに行きたいともあんまり思ったことがなくFCにも入ってなかったので、ダメ元で掲示板でチケットを探してみたんです。
そしたら、奇跡のように1枚だけチケットが見つかったんですよね。(しかも、私の誕生日だったw)
両親も誕生日くらい楽しんだら良いよ~ってOK出してくれて晴れて初現場へ。
譲ってくれた子が同い年でめちゃめちゃ良い子で、その日初めて出会ったのにお誕生日までお祝いしてくれてすげー嬉しかった記憶。
こうやって、初めてのコンサートに行って、初めての「ヲタク友達」ができました。
なんか悩んでもどうにもできない自分がちっぽけで、コンサートはその瞬間全て忘れて頭空っぽにして騒ぐその時間が最高に楽しくて。
はー「アイドル」って最高だなって。(単純)
同じ夢を一緒に見させてくれて。
一緒にもっと上の景色見ようぜって。
私には到底できない、素敵な夢を持って頑張ってる彼らを応援してるのって楽しいなって思ったんです。どうせ自分にできることなんてほとんどないし、今が楽しければ良くね?みたいな(笑)
唐突にいろんなことを投げ出して、楽観主義者になってしまったんですよねw
そうやって「ヲタク」を始めると、「関ジャニ∞」を好きな「ヲタク友達」も増えて。そもそもあんまり友達がいなかったし、好きなものをおすすめし合ったり、友達と同じもの好きになったり、そういうことをしてこなかった私には、同じ趣味の友達とひたすら好きなものの話だけしてコンサート以外で遊べるのとかも本当に楽しくて。
もう「アイドル」というか「ヲタク」の沼にズブズブ。(笑)
そんな感じで、私は「ヲタク」へと華麗な変身を遂げたのでした。
つづく
「ヲタク」から「ファン」になりました
こんばんは。ご無沙汰しております。
今まで、長年いわば何かの「ヲタク」を続けてきた私が、ここ最近「ヲタク」を卒業し「ファン」に戻りました。
いやいや、まず「ヲタク」と「ファン」ってなんの違いがあんのよ?
どっちも変わらないじゃんって思う人もいると思います。
その言葉の定義にはっきりとしたものがなく曖昧なので、そりゃそうなんですが。
私の中で「応援スタイル」が大きく変化したことを「ヲタク」から「ファン」へと表現してみました。
言葉で表現するっていうのはなかなか難しくて、上手く表現できるかはわからないですがどうしてもこの気持ちを何らかの形として残したかったので久しぶりに頑張って文字として残してみようと思います。
めちゃめちゃ長い文章になる予感がするので、覚悟してお読みくださいな。(笑)
以前、載せていたアイドル論文では解決しなかった私の中の疑問がすべて回収されて、晴れて「アイドル」を応援することが生き甲斐になっていた「ヲタクの私」とのお別れができたみたいな、そういったことを少しでも文章に残しておけたらなと。
「ヲタクの私」とのお別れできるまでには、本当にいろんな葛藤があったんですが。
とある出会いによって「自分探しの旅」をはじめて、その答えが見つかったからというのが本当に大きかったです。
今までもいろいろ考えてきたけど自分にできることはなくて、その答えが分からなくて結局考えることを諦めて向き合うことを放棄してしまっていた私に改めて「自分自身を見つめる」そんな貴重な機会があったからこそ、今スッキリと「ヲタク」を卒業できたんじゃないかと思います。
はい、それはさておき。
まず、私がいう「ヲタク」と「ファン」の定義を説明しておこうと思います。
以下ピクシブ百科事典から引用しました。
「オタク」
オタク(おたく)とは、自分の好きな事柄や興味のある分野に、極端に傾倒する人を指す呼称。
自他に関わらず、自虐や揶揄を伴い「ヲタク」と表記される場合もある。
(↑私が使う「ヲタク」は、これのことです)
- アニメ・コンピュータゲーム・漫画・SFなどに没頭する人。
- インドア系の人、引きこもり。
- 二次元~2.5次元の創作活動を行う人(例:同人オタク、コスプレオタク)
- 異常なまでに自身に係わる行動や情報に拘わる人 (例:健康オタク、コスメオタク、筋トレオタク)
- 単なるファンの領域を超えて興味の対象に熱狂する人(例:野球オタク、V系オタク)
- 専門家ではないにもかかわらず、特定の学術方面に対する知識が異常に豊富である人 (例:歴史オタク、数学オタク、鉄道オタク)
- 見た目や言動が気持ち悪い人 (例:キモオタ)
この中で今回私が言う「ヲタク」は、5.の単なるファンの領域を超えて興味の対象に熱狂する人のことですね。
いわば、それが「生活の中心」「人生の中心」となっている状態の人のことを、今回は「ヲタク」と呼びたいと思います。
「ファン」
特定の対象に対する応援者、愛好者、fan。「熱狂的な」を意味するファナティック(英: fanatic)の略。
ファンも元来の意味ではFanaticと熱狂的なという意味が含まれますが、現代の日本では「生活の中心」となっているほどその対象に熱狂している人、というよりかは応援している人、愛好者、というニュアンスが強いかと思います。
なので、ただその対象を応援している人、すなわち「生活の中心」「人生の中心」は別のものにある人のことを、今回は「ファン」と呼びたいと思います。
この定義を前提として、これから色々と私が思うことを気の向くままに書いていこうと思います。
かなり長い文章になる予感がしているので細かく分けながら上げていきたいと思いまっす!!!
てってれー
※記事を更新するごとに、この記事にリンクまとめていこうと思います
ではでは
豊かさとは何か? ~ 日本と海外の違い ~
こんにちは、お久しぶりです。
またまた放置しておりましたが、みなさんお元気ですか?(誰に言ってる?)
書きたいネタは色々とあったのですが、一旦アイドル論文を最後まで載せ終えて、満足してました。
仕事以外の時間をもっと有効活用したいですが、色々とやりたいことが多いです!あれもこれもしたい!
そんな中で、ようやく1つ記事になりそうなので載せます〜(*•̀ᴗ•́*)و̑̑
先日(と言ってもめっちゃ前)、知り合いがホノルルマラソンに行っておりました!
その方は56歳で、マラソンを始めたのも50歳を過ぎてからでした。
人間、いつからはじめても遅くないんですよね。
それを感じ続ける毎日です。
さて、そのホノルルマラソン帰りに大阪に寄ってくれたのでお土産話を聞いて、感じた事を綴ろうかと思います。
日本の豊かさとは?そんな事を考えさせられるお話でした。
コンビニにて。
日本では例えばヨーグルトを買うと、
何も言わなくてもプラスチックスプーン、お手拭きをコンビニ袋に入れてくれます。
しかしハワイでは、必ず”Do you need a bag?”と聞かれます。
それに、こちらから言わないとプラスチックスプーンは貰えません。
日本のコンビニはなんて親切なんだ!
レストランでは、
日本では予約をしておけば、その時間の少し前に行ってもたいていは席に案内してくれますよね。
しかし、ハワイで行ったレストランでは、予約時間になっても更に待たされ、席に着いたら周りは空席だらけ。あれ、なんで待たされたんだろう?そんなことを仰ってました。
日本では、注文したらまず飲み物は直ぐに出て
きますし、料理もよく待っても15分くらいではないでしょうか?忙しいときは、全ての店員が忙しく動き回っていますよね。
そのお店では、料理が出てくるのに小一時間かかったそうです。
また、厨房の入口でおしゃべりしたり、カウンター席で賄いを食べている店員もいます。
まだ、料理はこないのか?と文句の一つも言いたくなるのも分かります。
しかし、なかなか出てこない料理にイライラしていたら食事がおいしいでしょうか?
旅先のレストラン、時間に余裕があるわけで、待っている間は
おしゃべりをして楽しく待つことも出来るんじゃないか、
と仰っていました。なんて素敵な考え方なんだ......!!!
アメリカでは席に案内する人、料理を作る人、サーブする人、片付ける人と細分化されているそうです。
店員もサボっているわけでなく、自分の役割を全うしていただけのようです。
それが事実かどうかは定かではないですが、そうやって仕事を分け合うことで
多くの人が職につけるんじゃないかな?とも思ったり。
また、こんなことも。
スタバでの注文時
目の前の店員さんは、隣のレジの店員とおしゃべりをして、その合間に注文を聞いています。
しかもその店員さん、明らかにオネエだった!
日本の常識で考えると、ちょっと違うような気がするけど、いやな気が全くしなかったそうで、なんだか笑えてきたな〜、とお話されてました。
これは、ハワイだからなのか?
旅行先で心に余裕があったからなのだろうか?
こう考えると、心に余裕があれば大抵の事は気にならないんじゃないかなとも思いました。
逆に心に余裕がないと、周りに対して不平不満が出てくるんだとも言えます。
ならば、どこにいても心の余裕を持てば毎日がニコニコと楽しく、
この旅の時みたいに幸せに暮らせるんじゃないんでしょうか?
うん、絶対そうに違いない!
豊かさとは何か?
日本とハワイどちらが良いか悪いかは別として、
少なくとも、その方が感じたのは、
日本は物質的に豊か
ハワイは精神的に豊か
なんじゃないかな?ということでした。
日本は本当に便利です。
それが当たり前になって、それが凄い事とは気づいてないんですね〜。
当たり前の日常に感謝する気持ちを忘れてはいけないなと思いました。
・コンビニで買ったものを食べるのに困らない
・レストランで待たされることなく食事ができる
・美味しいものがいつでも食べられる
・どこに行ってもウォシュレットがある
・お風呂で湯船につかって疲れを癒せる
そんなこと。よく考えたら、こんなことが当たり前だなんて、本当に凄いことじゃないですか。
だからといって、過剰なサービスを期待しすぎてしまうのは良くないですね!
当たり前に感謝する気持ち、これが豊かさなのではないでしょうか。
そんな事を感じたホノルル滞在インタビューでした。
私自身は記憶上ほとんど海外に出たことがないのですが、
このお話を聞いてから、改めて豊かさってなんだろうということを考えました。
日本は物質的な豊かさはありますが、精神的な豊かさが足りないのかな、と感じます。
飲食店で働いていたこともあり、クレームを受けた経験は何度もあります。
もちろん、ごもっともなクレームもありますが、それだけで?と思うようなこともありましたし、同じ対応であっても受け取る側の感覚によってクレームになったりすることはあります。
そう考えると、日本人はどこか心に余裕が足りなくて、ピリピリしている人も多いような気がします。
精神的に、心が豊かであればもっと違う世界が広がっているのかも。
もう少しだけ、今の当たり前を見つめ直して。
" 当たり前" に感謝ができるようになれば、幸せに一歩近づけるような気がしました。
最終章 何故人々はアイドルに惹かれるのか?
はいよ。こんばんは〜。
長い間、少しずつ記事にしてきましたがいよいよ最終章、すなわちまとめでございます。
今読んでみると、まだまだ深く突き詰められる部分があるなぁと思ったり。
少し手を加えて書き直したりするのもありかな?と思って色々考えたのですが、とりあえずは原形をそのまま記事にしたいと思います。
元々4年ほど前に書いていた卒業論文なので、自分自身の物の見方も変わっていたりするんだろう。
また、追加で書いてみたいことは番外編として記事にしていこうと思います。やる気になれば。
完成した文章ですら、割と編集に時間がかかるので、また新たに浮かんだ思考をまとめるのは何ヶ月もかかりそう。。。
まぁもし記事にする機会があれば呼んでくださいな(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
というわけで、最終章!総括として、まとめちゃいます!
現代の日本では、「アイドル」が毎日のようにテレビのバラエティーやドラマ、歌番組など、様々なところで活躍し、芸能界の大きな一角を担っています。
また、コンサートや握手会が定期的に開かれ、「アイドル」は私たちにとって身近な存在になっているのも特徴的です。
しかし、バラエティーであれば芸人、舞台やドラマ、映画であれば俳優・女優、歌であれば歌手、というように各部門におけるプロフェッショナルともいえる存在がいますよね。
その中で、「アイドル」がプロの実力に及ぶことは難しいにも関わらず、何故「アイドル」という存在がここまで日本文化に浸透し、ビジネスとして成立し、人々に愛されているのでしょうか?
そこでこの論文(何回にも渡って載せた記事)では、序論で提起した「なぜ「アイドル」が人々の心を掴むのか」という問いの答えを導き出すために、様々な角度から見てきました。
というわけで、ここでまず今回記事にしてきた議題をおさらいしていきまっしょい!
第一章では、日本の「アイドル」とは一体何かを追求し、「アイドル」という言葉の誕生とその言葉の意味について調べていきました。
また、日本と海外の文化や趣向の比較を通して、日本の「アイドル」像について迫っていきました。
海外のアイドルファンたちが、「アイドル」に対して、容姿やスタイル、歌唱力などの音楽におけるスキルを求め、完成された「パッケージ(一商品)」として消費しているのに対し、日本のアイドルファンたちたちは、その「アイドル」が苦悩し努力し、マイクを握らせてもらえるようになったなどという物語性に惹かれ、〈物語〉の一部として商品を消費していることが大きな違いとしてありました。
第二章では、「アイドル」の営業戦略について物語消費の説明とともに追求していきました。
「物語消費」とは、実際に〈モノ〉として手に取れる、チョコレートやシールなどのツールを通して、可視化されないその裏に隠された〈物語〉を消費してもらうということを指します。
〈モノ〉を通してでしか消費しえない〈物語〉を消費者に提供しているのです。
また、「日本人はこうあるべきだ」という模範の姿が見えづらくなり、日本経済が発展して「豊かさ」が当たり前の時代になっていくごとに、人々が商品を性能差で選ぶことが難しくなってしまいました。
そこで人々は、商品をイメージ、その背景にある〈物語〉によって選択し消費をするようになったのです。
特に、消費者が「アイドル」を性能差で選ぶことはきわめて少なく、「アイドル」自身の人生、成功までの道のりの背景が描かれている〈物語〉の要素が商品の選択において非常に重要視されることが多いです。
そして、「アイドル」という商品が描く〈物語〉は、彼女ら自身の人生ではなく「アイドル」を売り出すプロデューサーによって意図的に作り出された、彼女らが演じている「アイドル」というもう一人の少女の〈物語〉であることをお伝えしました。
第三章では、「アイドル」の心理的戦略について焦点をあててお話をしました。
日本の「アイドル」を身近な存在である他己と捉え、その他己を承認することにより自己承認の願望を達成したかのように感じる心理的作用について追求していきました。
「アイドル」と私たち「ファン」との間で起きる心理作用は、「ファン」にとっての「アイドル」という理想化自己対象と、「アイドル」にとっての「ファン」という鏡映自己対象の双方で起こっていることを説明していきましたね。
「アイドル」と「ファン」は、お互いの自己愛を充たしてくれる対象として存在し、相互の心理的作用によって「アイドル」ビジネスは成り立っているのです。
また、なぜ「アイドル」の「ファン」同士のコミュニティーが生まれるのか双子自己対象という心理的作用を例に挙げました。
私たち「ファン」はなんらかの共同体に所属し、自らのアイデンティティを確立することを求め、そのためのツールとして「アイドル」を消費している面があるのです。
このように私たち消費者は、日本の経済成長とともに「日本人はこうあるべきだ」という模範の姿を提供してくれる媒体を失い、日本人としての共同体に所属し、〈物語〉すなわち生きる〈世界〉を縛られるということが少なくなりました。
しかし、人にはなんらかの共同体に所属し、自らのアイデンティティを確立したいという欲求があり、私たちは消費にあたって〈物語〉性を求め、自らの理想を引き受けてくれる対象を応援することで自己愛を充たすことがわかりました。
「アイドル」とは、このような私たち消費者の共同体に所属したいという欲求や、自己承認への欲求を上手く利用した「商品」であり、「ビジネス」なのです。
私たちは、自らの自己愛の充足やアイデンティティの確立を求めて、「アイドル」を「ファン」として消費し続けるのです。
終わり!
参考文献
大塚英志『システムと儀式』、筑摩書房(ちくま文庫)、1992
大塚英志『定本物語消費論』、角川文庫、2001
岡島紳士・岡田康宏『グループアイドル進化論』、マイコミ新書、2011
香月孝史『「アイドル」の読み方』、青弓社、2014
鈴木謙介・電通消費者研究センター『わたしたち消費』、幻冬舎(幻冬舎新書)、2007
山川悟『事例でわかる物語マーケティング』、日本能率協会マネジメントセンター、2007
第三章 「アイドル」の心理的戦略③
こんにちは、どうも。
あっという間に2019年になり、2発目の更新です。
少しずつ載せてきた記事もいよいよ終盤戦です。
なんせ更新ペースがゆっくりすぎるので、もしその都度読んでくれてる方がいれば、もう最初の方を忘れ去られていそうですが。
それでも、誰かの目に触れていたら、誰かが面白いと思ってくれていたらいいな〜なんつって。
というわけで、ご無沙汰しておりましたが引き続き更新しまっす(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
第三節 なぜ「アイドル」の「ファン」同士のコミュニティーが生まれるのか
「アイドル」の「ファン」たちは、しばしばコンサートや握手会などの会場で同じ「アイドル」を応援する「ファン」同士で集まり、交流をしますよね。これは双子自己対象という効果によるものであると言えます。
双子自己対象とは、自分自身の分身のように感じられたり、自分自身にとてもよく似た存在として感じられたりする対象を指します。
自分とよく似た誰かを見つけたとき、私たちは自己愛が満たされるのです。
たとえば、仲良しの子供がお揃いの服をねだったり、境遇や趣味の似ている人同士がお互いを理解しやすいと感じたりしますよね。
海外旅行中に日本人と知り合って妙に意気投合してしまう。東京に出てきた地方出身者が同郷の人たちとつるむ。このような経験は、すべて双子自己対象によるものなのです。
同じ「アイドル」を応援している仲間として「ファン」同士が、自分自身の分身のように相手のことを捉え、親睦を深めることもこの効果によるものなのです。
また、双子自己対象は共通点の多い人物と一体感を提供してくれる対象も含まれるので、似た者同士の「ファン」を繋げて会わせてくれる「アイドル」という存在も双子自己対象にあたると言えます。
また第二章でも触れたように、私たちはなんらかの共同体に縛られ、所属したいという欲望を持っており、そのために〈物語〉を求めると述べました。
その〈物語〉性を持った商品として「アイドル」に人々は惹かれ、「アイドル」を消費する「ファン」になるのです。
それと同時に、「ファン」になるということが「アイドル」のファンクラブに入り、リリースされたCDは欠かさず買い、コンサートや握手会に通う、といったようなある程度の行動の規範を決定してくれ、「○○(アイドル)のファン」という共同体に所属することに繋がります。
すなわち、「ファン」は「アイドル」が好きという感情以上に、「ファン」同士の繋がりや、「ファン」でいることで所属することのできる共同体に縛られることを求めているのです。
「アイドル」に対する情熱が冷めたとしても、「ファン」をやめられないということが「アイドル」の「ファン」の中でしばしば起こるのは、このように「アイドル」が私たち「ファン」の共同体を作るツールになってしまっている部分があるからなのです。
「アイドル」の「ファン」同士のコミュニケーションは、「ファン」の自己愛を充たしたり、アイデンティティの確立に大きく影響したりしています。